女性

環境問題以外の解決されるべき問題の一つとして、女性問題があるだろう。

FIJIの場合

伝統が残されているフィジーの村を訪問した際、「セブセブ」という村に入るための儀式に参加した。その儀式に村の女性が参加することはなく、終わるのを集会場の中に入ってくることはなかった。また、儀式が行われた集会場で食事をとった際に見かけたことでは、客人として招かれた私達と村の男性が食事を取り終わった後に女性が食事を取りはじめていたようだった。さらに、集会場の上座、村のチーフが座っていた付近には、女性は近づこうともしていなかった。女性には女性の集まりがあり、各グループごとに当番でイベントの食事の用意をしているそうだ。

 一方で、深刻な嫁問題もあるようだ。伝統的なむらの多くでは、近年嫁の来てが少なくなったそうだ。フィジーのむらで男女が出会う場所として、教会がある。この村には大きな教会があり、ほかの村からも参拝者が来るそうだ。男性は紳士的であるのには驚いた。人々の意識の中に「差別」という意識があるのかどうかははっきりとしなかったものの、その意識はないのではないかと思うことのほうが多かった。

 都市のほうでは、レイプ防止や女性の人権、子供を捨てないでといった内容の看板を目にした。

Tuvaluの場合

国民の97%がキリスト教であるツバルでも、様々なところで男尊女卑ではないかと思われるような場面に遭遇したり、話を聞いたりすることがあった。

まず、「男女平等という習慣がない」ということ。仕事(主に漁業)をするのは男性のみであり、女性が仕事をするのはまれ(政府関係者、看護師)であるようだった。日曜日の教会での集会が終わった際も、女性が退場するのは最後で、男性や子どもが退出するのを待っていなければならないようだった。

船員を養成し、それを主な収入としているツバルの男性は、半年から1年の間漁獲船に乗り、世界中の海に出ることがある。ツバルにおいての船員は養成学校の倍率も高くエリートであり、優遇される場面も少なくない。その船員たちが島にいない間、彼らの妻は夫の実家に預けられ、監視されるという話をきいた。長い間離れているため、たびたび浮気してしまうケースがあるからだそうだが…。結婚した場合、住む家は夫の家でも妻の家でもよいそうだ。最近ではどちらの家にも入らない家庭も増えてきているらしい。ただし離婚した際、子供の親権をめぐる裁判では、生活力、財力の面での考慮がおおきく影響し、手に職を持っている女性がすくないため、ほぼ100%の割合で男性が親権を手にするという。2歳未満の子供の場合、母親が親権を手にすることもあるがその場合、子どもが2歳になるまでは母親の元で育てられ、2歳になると父親のもとに引き取られるという。これは法律ではないが、慣習法のようなものとしていまでも残っている。離婚した際に女性が差別されることはなく、結婚を繰り返すことで蔑視をされることもないが、未婚の母はそうではない。倦厭、差別される。結婚前に関係を持つことはタブーであり、厳しくしつけられている上に、周囲の目もある。主に祖父母に厳しくしつけられるためか、ミニスカートを履きたいがはけない、デートはこっそりしなければならないと嘆いていた女の子もいたし、現在付き合っている人がるのかどうかもなかなか答えてくれなかった。

フィジーでもツバルでも、人としては平等だが習慣としては不平等である、という印象を受けた。フィジーのむらの習慣はそれらのことを含め、日本の伝統的習慣に多くの共通点がある。日本では現在も社会における男女平等が叫ばれている。しかし、様々な制度が整備された現在でもなお、男性と女性の差別は無くなっていない。いかに難しい問題かがわかる。
 しかし、フィジーやツバルの人々を見ていると、欧米や日本のこのような考え方とは少し違うように感じた。彼らが常に考えているのは家族のためにということである。(家族は大家族をさす)家族で必要な分の魚を獲り、野菜を育て、家族またはコミュニティーで食し、生きている。実際、「ツバル人はツバル人のためだけに魚を獲る。」と教えてくれた男性がいた。
 ツバルの政府関係者には男性とほぼ同じ人数の女性が働いていた。大学でも多くの女性が勉強していた。そのことから、フィジーとどうように、社会の中に「差別」という意識は感じられなかった。人々の気質による部分があるのだろう

著:nanae

家族・福祉

フィジー・ツバル両国の福祉の状況は昔の日本の福祉(今でも続いているところもある)と似ている部分が多くある。まず、地域の人々や家族間のつながりが強いということだ。伝統的生活様式を続けているフィジーの村を訪問した際、食事の時に、漁から帰ってきた男性や子供、女性が集会所に集まってみんなで食事をしていた。日本では農村などの一部の地域を除き、そのような光景はほとんど見られない。また、村では村全体の人が親しく家族同然の関係が築けているので、互いに助け合うことも多く、老後、寝たきり状態になって自分の子供がいなかったとしても村の誰かが面倒をみてくれる。日本ではそういったことは少なくなっている。

 ツバルでは、結婚してもお互いの親の家を毎週訪問して何かをプレゼントしなければならないという習慣がある。また国土が狭いため土地がないということもあり、結婚しても親と住む人も多く、4世代の家族が一緒にくらしているという家庭もあった。さらに、親の許可さえあれば何歳であっても結婚ができるため、ツバルでは結婚する時期が早く、最近は産む子供の数も増加している。このように親との関係が途切れることがなく、子供の数も多いため、日本のように老後、自分の子供に面倒をみてもらえないので老人ホームに入る、といったことが起こらない。そのため、ツバルには老人ホームがない。また、子供の数が多いことで介護の負担も減り、一人で抱え込むことが少なくなるので高齢者虐待といったようなことが起こりにくくなっている。

 しかしながら、西洋化(欧米のライフスタイルの流入)の影響によってか、ツバルでは核家族が増えてきている。このことにより親と連絡を取る機会が減るといったようなことが起きれば、親との関係が薄く、とぎれてしまう可能性もある。そのことから老後、介護が必要な状況になったときに自分の子供に面倒を見てもらえなくなるといったことも起こりうる。日本も昔は子供の数が多く、子供が親の老後の面倒をみることがほとんどだったが、核家族が増加するにつれ親の面倒をみない子供が増加してきた。そのことが原因でほとんどの老人ホームが飽和状態になり、現在、老人ホームにもはいれず子供にも世話をみてもらえない高齢者がたくさんいる。ツバルがこのような状態にならないためにも今の習慣を続けていく必要がある。ただし、日本では、自宅介護は家族間でも特に女性に負担がかかり、女性の社会寝室を拒む要因であること、介護になった高齢者のすべてが身内の介護を希望しているわけではないことも述べておく。あくまでも、ツバルの核家族化、家族形態の変化の中での福祉について述べている。

 ツバルでは年金制度がある。日本と違い、働いている人しか払わなくても良い。ただし例外として海員は年金の保険料を払っても払わなくてもどちらでも良い。年金の保険料は給料から自動的に10パーセントひかれる仕組みになっている。年金は退職するとき・移住するとき・60歳になったときのいずれかにもらうことができる。日本の場合20歳以上のすべての国民が25年以上保険料を払わなければならないが、ツバルは保険料を払う年数が決まっていない。そのため保険料を支払った年数がどんなに少なくても、払った分だけの年金はもらうことが出来る。

著:菊川